2011年7月25日没
はなさん宅にて
KDP裏ブログより
はなさんありがとう。
最期までふあを愛してくれて。ふあは幸せでした。
ふあに会えて幸せだったよふあ! また会えるから
いい子で待っててね。ありがとう ふあふあ。
またね。やくそくね。
(中略)
ふあはセンターに持ち込まれた子です。
今でも檻の中で最初に見たときのふあの顔を覚えています。
捨てられるまで幸せな瞬間は無かったような顔つきでした。捨てる人に憎しみが無い訳では無く前面に出してはいけないと体が覚えました。
自分を苦しめるだけだからです。でも何故他人が捨てた犬を愛し多額の治療費をつぎ込みふあの為に
生活のリズムを変えてはなさんは今ふあを撫でながら一人で死と向き合い
悲しみと戦っているのでしょうか。はなさんは自ら悲しみを受け入れる事に決めたからです。
いつでも一番悲しい思いをしているのは人間ではない事に気づいたから。
死から逃げ見ないで生きる事がどんなに卑怯だったか気づいたから。今のはなさんには憎しみという言葉はありません。
あるのは最後まで一緒に泣いて笑ったふあとの美しい想い出だけ。そしてふあが世界中の人間の中ではなさんだけに残してくれたふあの生きた証拠。
そしてはなさんがふあの短い一生の心の中に残した唯一の人からの愛と安らぎ。ふあは逝く前に深く深呼吸をして上を見上げおもいました。
生まれてきてよかった。
はなさんに会えてよかった。
幸せだったと・・・そして今9時55分病院から帰ってきたバフィーが
僕の腕の中で逝きました。なんて日でしょうか。
2011、7、25